• 『リュウキュウの少年  龍潭のほとりにて』南城秀夫著

『リュウキュウの少年  龍潭のほとりにて』南城秀夫著

978-4-89982-129-8

1,100円(内税)

定価 1,047円(内税)

購入数
南城秀夫 著 四六判並製本 180頁

「ぼくたちもここも不思議だねぇ」戦後の沖縄・首里の町で過ごした少年期の成長を通して浮かび上がる、ノスタルジアと家族のメモリアル。

1950〜60年代の沖縄は、戦争が終わり、米軍統治下にあり、町には奇妙な安堵感と緊張感と無国籍な雰囲気に包まれていた。
その中で少年期を過ごす主人公の少年の思いを、首里の町のたたずまいと幼年期の不思議と心に残る体験、そして家族の記憶を、時にノスタルジックに、時に幼年期に対する哲学的な考察を交えた文体で綴る、戦後リュウキュウの小説。
当時の首里イラスト地図付き。
「リュウキュウ青年のアイビー留学記」に続く、「リュウキュウ」小説第二弾。

目次
第一部
 首里の町
 当蔵大通り
 夢想の時代
 炎上
 ムツオ
 アメリカーがちゅううんどうー
 龍潭池畔の教会と坂下の観音堂
 コージロー

第二部
 神崎と朝堅
 渦巻
 暁空丸
 異国の少年
 曲がった鼻
 サーダガ生まれの浸礼
 落日

本文より
「私は琉球の古都、首里の町に生まれた。
 首里の町は人口、五万人ほどの中規模の町。那覇市の東の高台にある。野牛の背のような荒々しい丘陵の多い沖縄でも、とりわけ居丈高に迫上がって、夏はより一層の太陽に、冬はより一層の北風に晒されている。静かな、しかし頑固な丘。太陽や北風どころか無数の砲撃に晒されて、その硬い白肌を剥き出しにされても文化という水脈を枯らさずにその内部に保ってきた丘。石畳をアスファルトに衣替えしても、破壊された首里城の跡に新しい文化の象徴である琉球大学が建っても、現代に屈服しようとしないで遥かニライカナイの海を凝視する丘。龍樋の口からは石灰孔に篭められた雨水が飛沫を上げて溢れ出し、円鑑池や龍潭に絶え間なく注がれていた。
 私の父は今次大戦中、沖縄戦の予想が色濃くなったとき、数百名の学童を熊本に疎開引率した歴史の教師だった。戦後は教職を辞して県教育関連の要職に就いていた。
皮肉なことだが、首里のインテリゲンチャはいち早く大和化したがゆえに、父の時代には琉球文化はむしろ首里以外の地方生活の中に色濃く残っていた。父は日本の歴史をこよなく愛し、自分の信ずる日本人の美徳を体現しようとしていた。私は父を思うたびに、近代日本の衣装を脱いだ父の魂が果たして琉球人という固有の人種であったのか、それともやはり隔世遺伝した古代日本人の類であったのか分からなくなる。黒ぶちの目がねをかけ、広い額を突き出して、入れ歯を出し入れしながら考え事をしていた父は、講演会などではよく話をし、人望の厚い人でいつも来客があった。頑固な明治生まれというのでもなく、沖縄で初めて社交ダンス講習所を経営したりするダンディなところもあった。
戦後生まれの私たちの感性は当然、混沌としていた。友人の家では話されるウチナー口も家では話されず、よって「上等な家庭」とされ、友人が限定されていたのはいいとしても、後にウチナーンチュ全体を襲うアイデンティティの不透明さは他の地域に先んじていた。
時はあたかもリュウキュウ政府時代で、擬似日本、擬似琉球の空には嵐の後の安堵した雲がゆったりと流れていた。」



著者プロフィール

南城秀夫 なんじょうひでお
昭和25年  那覇市首里生まれ
昭和49年  エルカミーノ大学教養学部修了
昭和53年  コロンビア大学社会学部終了
平成 3 年  オクラホマ大学行政学部修士課程修了
平成14年  オクラホマ大学経済学部修士課程修了
英語教師、専門商社アメリカ代表などを経て、現在、国際協力関係に従事
著書に『リュウキュウ青年のアイビー留学記』(文芸社)。