• 『風の棲む丘』湧上アシャ著

『風の棲む丘』湧上アシャ著

978-4-89982-327-8

1,320円(内税)

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『風の棲む丘』
湧上アシャ
46判 368頁


フェンスが分断した街で繰り広げられる
運命と決別の物語

俺たちは風の棲む丘で育った。

いつかここから飛び立つために−。



すべてが手に入るこの街で、島の未来だけが見つからない。

過酷なストリートを必死に生き抜く〈境界線上の子どもたち〉が織りなす運命の出会いと決別の物語。

ヒップホップ、レゲエなどストリート文化に影響を受けた沖縄の若き書き手が

フェンスで分断された街を舞台に書き下ろした長編青春群像小説。


本文より

黄昏の街

「気がつくと、いつも夕暮れだったの」

麻里・ジェーン・フイッシャーは、暮れゆく街を見つめたままそう言った。それから隣に座る神谷海の口から煙草を奪って、自らの唇に寄せた。

「どういう意味?」

麻里は応えない。褐色の肌に映える切れ長の目を細めて、薄く笑うだけだった。

「ま、いいけど」

諦め口調で海はそう言って、新しく煙草を取りだして火をつけた。吐き出された白い煙が、夕焼け空へとのぼる。

ここは、丘の上にある街。ふたりは並んで公園のフェンスに腰かけ、南風に流されていく夕焼けを眺めていた。すこしずつ街に明かりが灯りはじめ、風が冷たくなる。

「……この時間にようやく目が覚めるのよ。世界なんてものに価値はない。けれど、なにも影響を与えられない自分のほうが、価値がない。そう気づいた時には、太陽は逃げてしまう。いつだって、見送ることしかできない」

「すこし、わかる気がする」

「……ありがと」

  遠くから、公民館のチャイムが聞こえてきた。鉄琴の音が鳴りやんで、海が申し訳なさそうに口を開いた。

「あー、そろそろ」

「帰る?」

「うん」

「そう」

麻里は表情こそ変えなかったが、言葉に残念だという響きがこめられていた。麻里はフェンスから飛びおり、歩き出した。海もあわてて後を追う。

「麻里、明日は学校来いよ」

「どうして?」

「どうしてって、おれたち受験生じゃないか。お前頭いいんだからさ、今からでも高校いけるって」

「わたしの勝手じゃない」

麻里は中学一年生のころ、テストで学年一位を取りつづけた。さらに全国一斉模試で、県内で上から三番目の成績を残した。そしてその年の春、彼女は学校に行くのをやめた。

ずんずん先に進んでしまう麻里に、海はついていくので精いっぱいだった。まるでふたりは競歩でもしているのかという速さだった。強い風が吹いて、腰まである麻里の長い黒髪がなびいた。

「子どもは嫌いなの」

「子ども?」

「そう。子どもはいつだって嘘つきと弱いものをいじめたがるのよ。そして異端児や天才を虐待するの」

海は、なにも言えなかった。麻里はアメリカ人と日本人の両親を持つ。日本人ばかりの教室にその色の肌は、それだけで目立つ。さらに頭がよくてひねくれ者。男子生徒にはわりと人気があったが、女子生徒の妬み嫉みを買うこともすくなくはなかった。

「なんだよ。嫌がらせでもされてるのか?」

麻里は立ちどまり、軽蔑の目で海をにらみつけた。しかし、怒鳴りつけることはせず、ひと呼吸置いてからこう言った。

「わたしの人生だから」

海はしばらくあっけにとられたが、みるみるうちに笑顔になっていった。麻里の人間性を垣間見た気がしたから。

「へー、かっこいいね」

それは単なる感想なのだが、麻里には冷やかしに聞こえたらしく、また先に歩き出してしまった。

「まてよ。じゃあ、公園には顔出してくれよ。な。おれたちいつもここでバスケやってるから」

「バスケ?」

「バスケット。バスケットボール。麻里が来てくれると、四人になるからツー・オン・ツーできるんだよ。運動、嫌いじゃないだろ?」

「嫌いじゃないけど……」

「よし、決まり。あ、麻里そっちから帰るの? おれんちこっちなんだよ」

そもそも今日は、麻里が学校をさぼって公園で読書をしているところを、海が声を掛けてきたのだ。

「明日、楽しみにしてるからな」

「気がむいたらね」

「気がむけよ。絶対!」

大きく手を振って、海は坂の上に駆けていった。白いシャツを、傾いた陽ざしが橙色に染めていた。



●目次
 プロローグ 春の空
 黄昏の街
 境界線上の子どもたち
 国境なき少女
 傘の中の宇宙
 別れ
 沈黙の青 激情の赤
 苦しみの種、喜びの花
 雷鳴
 月虹
 街角
 暴風警報
 路上の花
 群青
 一本の槍
 靴磨きの少年と花売りの少女
 だれも見つけられない
 旅
 すべては明日の光を見るために


著者略歴
湧上アシャ
 1990年沖縄県宜野湾市普天間生まれ。普天間高校出身。
17歳から本格的に小説を書きはじめる。ふたつの大学に進学するが、どちらも中退。2016年10月から、同人サークル「タフコネクション」に参加する。ヒップホップやレゲエの文化に強い影響を受けており、ラップしたり、イラストを描いたりもするが、文章をメインに活動中。