• 『人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄〈明治・大正・昭和・平成〉百年の道程』  大城道子編著他

『人生は、はーえーごんごん 仲宗根澄〈明治・大正・昭和・平成〉百年の道程』  大城道子編著他

978-4-89982-426-8

1,980円(内税)

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大城道子 編著
和宇慶光子+沖縄市女性史サークル 第一部監修

沖縄市を中心に戦後の教育、女性活動、福祉を支えた
「仲宗根澄」のライフヒストリーをまとめた一冊


貧しい士族の娘は、女子師範学校を卒業し教師の道を歩みはじめる。相思相愛の夫を二十代で失い、沖縄戦 中は大家族でやんばるを逃避行。戦後は収容所から教師生活とともに婦人会や福祉などの社会活動に貢献。 彼女を支え続けたのは「士族」の末裔とひめゆり同窓会の一員という矜恃であった。
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はじめに       
 かつて、仲宗根澄先生といえば、中部地区で知らない人はいなかった。特に沖縄市(旧コザ市)で話題が福祉分野に及ぶと「三大マドンナ」として必ずお名前が登場する一人が仲宗根澄だった。ちなみに、澄とともにマドンナと称されたのは「福祉の母」と慕われた島マス、女性で初めて本土で沖縄の日本復帰を訴えた一人と伝わっている瑞慶覧ツル(つる)である。もう、どなたも鬼籍に入られて久しい時間がたつのだが、生きておられたなら百歳を優に超える大先輩である。
 澄たちが自他共にマドンナと豪語してはばからなかったのは福祉分野で活躍する七十代に入ってからで、世間で言うところの高齢になってからだから正確には「老人クラブのマドンナ」ということになるだろうか。実際にマドンナに名を借りた愛すべきお茶目な行動にも事欠かないエピソードをご本人からもお聞きしたのだが、ここでは割愛する。これらの出来事から、澄やその世代のユーモア溢れる大らかな気性がしのばれた。
(中略)
あらためて澄の業績を振り返ってみると、大きく教育、女性問題、福祉の三分野に分類することができるだろう。
 教育の分野では、すでに戦中に米軍が設置していた石川収容所での青空教室から、城前初等学校、青年実業学校、コザ高等学校勤務など戦後の混乱した時期の児童生徒を世話し教導したこと。また女性問題分野では、戦後混乱期に早急に婦人会を組織し衣食住不足を乗り切る手段をこうじた一員であったこと、米軍占領下で沖縄女性の地位向上に努めた女性たちの一人であったことが挙げられる。福祉分野での活動は、地域の先輩として交流の続いていた島マスなどとの新たな協働として、復帰前の一九六八年から始められている。
 「お話を聞かせて下さい」という私たちに、先生は「仕事が好きで爐蓮爾─爾瓦鵑瓦鶚瓩靴洞軌生活に追われてきたようなもので、何も良い話はないですよ」と微笑された。
 仲宗根澄は「はーえーごんごん」して(一生懸命に走りに走って)明治・大正・昭和・平成にわたって生き抜いてきた後を振り返って、次のように締めくくられた。
 「戦争の苦労は大変なものである。ことばでは表現できない。子どもたちもよく生きてくれて、自分もよく生きてくれてありがとうという気持ちである。さんざんくんざんした難儀は、今の若い人には分からないと思う。理解できないだろうと思う。ほんとうに戦争を無くして欲しい。今、総理大臣はがんばってもらわないと。」
(後略)
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■目次
発刊に寄せて 沖縄市長 桑江朝千夫
第一部 人生は、はーえーごんごん 大城道子 監修・和宇慶光子+沖縄市女性史サークル
 はじめに 
一、戦前の澄と家族                 
生家根路銘は首里士族毛氏/伊波尋常高等小学校生徒時代/沖縄県の教育事情/泣く泣く父が許した進学 /沖縄女子師範学校生徒時代/寄宿舎生活/やーどぅいの人々/とーとーめーに供えた初任給/給料アップを目的に師範専攻科へ進学/島マスら先輩との交流/夫仲宗根信善/夫信善の愛の短歌/宇久田尋常高等小学校訓導時代/お産と子育て/夫の死 
二、沖縄戦と避難の日々             
女性を取り囲む戦争の足音/沖縄戦の始まり/やんばるへの逃避行/妹の出産と人の情け/金武岬にいた宇土部隊/捕虜になる
三、戦後復興に教師として関わる        
複数の終戦の日/石川収容所生活/沖縄戦後教育の変遷/石川市で始まった戦後の教育/石川学園の誕生 /分離発展する石川学園/城前初等学校時代/戦後生活の始まり/石川実業学校時代/コザ高校で家庭科教師を務める
四、社会活動に参加               
婦人会活動に携わる/母子福祉に携わる/文部省主催婦人指導者研修会議に参加/退職後の活動/母子協力員・更生保護委員 
 おわりに 
 仲宗根澄受賞一覧 
 仲宗根澄年表 

第二部 家族からみた仲宗根澄
母     娘 松本郁子
おばあちゃんが繋いだご縁          ミラー 知念 ありさ 
おばあちゃんの意志/ハッサビヨーイナー/一〇四歳まで生きたおばあちゃんの健康法/あしばーなおばあちゃん/おばあちゃんと私、失踪事件/来賓席はおばあちゃんの指定席/ルーズソックスとおばあちゃん/オトコの真ん中にあるものは?/世界を旅したおばあちゃん/前を向き続けること/謎に包まれたロマンス、時を経て花咲く/ハイビスカス賞の話/すみおばあちゃんという大木
 

第三部 論考
〈研究ノート〉はじめて日本復帰を陳情した女性集団    大城道子 
復帰運動を惹起した世界史的背景/複数の終戦の日/本編で使用した史資料/文部省主催婦人指導者研修大会/婦人会の本土での日程/あけぼの婦人会/ララ物資から借用したコート/ニクソン副大統領への復帰陳情書提出と夫妻の来沖/帰沖後に受けた圧力/沖縄の政治団体と復帰運動/市川房枝と沖縄/副大統領ニクソンの行動/婦人団体連絡協議会の発足/行政への女性の進出/戦前女性教師の母性保護/語られなかった澄の思い/女性にとっての、永遠とも言える課題 

あとがきにかえて
 和宇慶光子/浦崎清子/喜屋武すま子/小島久子 
本書刊行までの経緯 大城道子 
参考文献
索引 


■著者略歴
〔執筆者紹介〕
和宇慶光子 
1938年旧石川市(現うるま市)で誕生。石川高等学校卒業。同校図書館司書として勤務。司書資格取得のため上京。山野美容専門学校卒業。美容師免許取得。帰沖し沖縄市のサファイア美容室、沖縄ツーリスト、和宇慶材木店総務部勤務。導プランニングを設立し代表、現在会長。仲宗根澄の縁者として本書にかかわる。

浦崎清子
1938年旧美里村知花で誕生。コザ高等学校卒業。在沖米陸軍下士官クラブ勤務、知花で薬局経営。知花婦人会会長、沖縄市婦人連合会副会長、沖縄商工会議所婦人会会長、沖縄市女性問題懇話会委員、薬局閉店後知花自治会会長、知花老人会クラブ会長、沖縄県中部地区老人クラブ連合会副会長、沖縄市老人クラブ連合会企画広報委員長など歴任。現在沖縄市老人クラブ連合会民舞委員長。『戦後50年 おきなわ女性のあゆみ』に「仲宗根澄」を執筆。

大城道子
1944年疎開先の熊本県飽託郡で誕生。1946年2歳のとき久場崎上陸。大道小、真和志中、首里高等学校、東京教育大学(現筑波大学前身)文学部卒業。高校教員、県内複数の大学で非常勤講師、沖縄県オンブズマン、沖縄県男女共同参画センターてぃるるスーパーバイザー、新沖縄県史女性史編副部会長など。名護市史、浦添市史、豊見城市史の出稼ぎ・移民編共著、編著『赤ん坊たちの《記憶》―一九四三年〜一九四五年に生まれて」。現在八重瀬町史移民編副部会長。沖縄市女性史講座講師として本書とかかわる。

小島久子
1947年金武町で誕生。琉球大学社会学科卒、沖縄市役所入所、年金課、沖縄市福祉事務所(生活保護、児童福祉、(旧)精神薄弱自者福祉)、市民課、下水道課、地域福祉課、「全国福祉を語る女性のつどい」事務局、平和・男女共同課、高齢福祉課、商工労政課を経て退職。沖縄市女性史研究会会員として本書とかかわる。

喜屋武すま子
1949年上本部村(現本部町)で誕生、新里小学校、中の町小学校、コザ中学校、コザ高等学校、沖縄大学法文学部卒業、沖縄市役所入所、議会事務局、女性政策推進課、商工労政課、平和・男女共同課長、児童家庭課長、障がい福祉課主幹、会計課長を経て退職。現在、国際福祉会美さと児童園理事、北中城村字島袋草の根グループ会員、北中城村農漁村生活研究会会員、沖縄絵手紙協会事務局長、沖縄市文化協会「文化の窓」編集委員、沖縄県女性の翼第28期団長、北中城村議会副議長。沖縄市平和・男女共同課長として沖縄女性史研究会を立ち上げ、本書を企画する。

ミラー知念ありさ
1991年沖縄市生まれ。画家。球陽高校、琉球大学法文学部卒、銀行員を経て、画家へ転身。米国でのライブアートを機にヨーロッパ・アフリカ・アジア・オーストラリアを巡り、沖縄を拠点に県内外で活動。主に壁画、平面画、デジタルアートを軸とする一方、県内各基地でアート講師として勤務。東京を拠点に全国各地からアーティストが集う「THE ART」に参画。仲宗根澄のひ孫として本書にかかわる。

■2020年5月発行