奥平 一著/A5判・292頁
「日の丸の裏地には アメリカ国旗が刻まれていた」
戦後の米軍支配下におかれた沖縄で、教職員は沖縄教職員会(沖教職)を結成し、復帰運動に取り組んで行く。
日教組との関係、日の丸掲揚問題、米民政府の教育介入など時代の中で、教職員会の運動を歴史的時系列の中で詳細に検証していく。
沖教職の復帰運動挫折の原因”三つの障壁”とは何か
本書目次より
第一章 米軍支配下の沖縄教育
第一節 戦後沖縄教育の混乱
1、沖縄戦の終結/2、米軍による囲い込み教育 /3、教科書編纂と 日本語教育
第二節 切り離された沖縄
1、屋良文教部長の就任/2、講和条約と沖縄の帰属問題 /3、講和条約による沖縄分離/4、沖縄群島政府と日の丸/
5、「第三回校長会」における校長結束
第三節 沖縄教職員会の結成
1、米民政府と琉球政府の発足/2、沖縄教職員会の誕生/3、戦災校舎復興募金運動/
4、沖教職への米軍弾圧
第二章 立ち上がる住民
第一節 教育研究大会の取り組み
1、研究教員のみた本土教育/2、第一回全沖縄教育研究大会の開催/3、学校教育の 諸問題/4、児童生徒の言語指
第二節 住民の抵抗
1、島ぐるみ闘争/2、教育四法の獲得
第三章 国民教育の胎動
第一節 GHQの対日占領政策
1、戦後日本の「逆コース」/2、日教組の誕生/3、教育指導員と沖縄教育/
第二節 日教組と沖教職の接点
1、日教組と沖教職の関係史(一九五二〜一九六〇年)
第三節 国民教育の視点
1、日教組「国民教育」運動の視点/2、沖教職「国民教育」の視点
第四章 日の丸と国民教育
第一節 米民政府の日の丸拒否
1、日の丸掲揚運動の背景/2、復帰協による日の丸パレード/3、新旧世代間の日の丸対応
第二節 沖教職の国民教育
1、「国民教育」分科会の新設/2、沖教職教研第九次(一九六三年)〜第十一次(一九六五年)―同化主義的傾向期①/3、第十一次教研の波紋 173
第三節 佐藤首相の沖縄訪問
1、日教組、その後の国民教育論(一九六一〜一九六四年)/2、復帰協からの日教組要請/3、佐藤首相による一体化政策/4、一体化政策と沖教職第十二次教研(一九六六年)―同化主義的傾向期②
第五章 錯綜する国民教育
第一節 本土の沖縄認識
1、沖縄との出会い/2、日教組教研の正式参加
第二節 沖教職―国民教育の転換 200
1、沖教職教研第十三次(一九六七年)―軌道修正期/2、日教組教研第十六次(一九六七年)〜第十八次(一九六九年)の状況 /3、沖教職教研第十四次(一九六八年)〜第十五次(一九六九年)―変革期
第三節 「民族」をめぐるギャップ
1、日教組教研第十九次(一九七〇年)〜第二十一次(一九七二年)―沖縄問題の終焉 /2、連帯の関係史
第六章 「国民教育」運動の挫折
第一節 日の丸の固持
1、定期総会での日の丸論議/2、沖教職教研第十六次(一九六九年)―沈滞化/3、 教研の「成果と反省」
第二節 教研活動の反省
1、教研活動の問題点/2、日の丸掲揚運動のその後
結 論
1、日米両政府の沖縄植民地政策/2、日教組教研での「独立」論議/3、国民教育運動の光と影
戦後沖縄教育にかかわる年表
あとがき
著者プロフィール
奥平 一(おくだいら はじめ)
1941年生まれ。宮古島市出身。
上智大学卒業。国際基督教大学大学院修士課程修了。沖縄大学大学院修了(2008年)。浦添市立仲西中学校・那覇市立城北中学校・北大東村立北大東中学校教諭、沖縄県立教育センター主事、シンガポール日本人学校教諭(文部省在外教育施設派遣教員)、那覇市教育委員会指導主事、竹富町立船浮中学校教頭、浦添市立沢岻小学校校長、ドイツハンブルグ日本人学校校長(文部省在外教育施設派遣教員)を歴任。2002年浦添市立浦添小学校校長を最後に定年退職。2010年4月より北大東村営「なかよし学習塾」講師。
著書に『離島・東の果てから』(エリーシャ書房、1980年)、『大東島の歩みと暮らし―北大東島を中心に』(ニライ社、2003年)。