勝利のうたを歌おう 沖縄人ボクサーは何のために闘うのか
伝説のチャンピオンは「120%沖縄のために戦う」と言った。
「ボクシング王国」沖縄。しかし長い間、世界チャンピオンは、誕生していない。
東京のリングで夢を求めた6人の沖縄人ボクサーそれぞれの栄光と挫折。
8年の取材を敢行した渾身の沖縄ノン・フィクション!スポットライトの向こうで闘う沖縄人ボクサーたちのとまどいと決意。沖縄の現在を問いかける、注目の書き下ろし!
オキナワとヤマト。ハングリー精神。新しい夢と届かない夢。ウチナーンチュのアイデンティティは時代の流れのなかでどう変わっていったのか。カクテルライト輝くリングの上に、沖縄人ボクサーたちの勝利のうたが鳴り響く日は再びやってくるのか。
前書きより
◆幼い頃、伝説のチャンピオン・具志堅用高の試合を見てファンになった著者。以来、沖縄出身のボクサーを追いかけていた。
ある時、かつて天才ボクサーといわれていたが世界チャンピオンになれず、とっくに引退していたと思ったある沖縄出身ボクサーがリングに上がり続けていることを知る。彼の名は名護明彦……。
どうしても会ってみたくなった。
どうしてボクシングを続けているのか。どうしてチャンピオンになれなかったのか。どうしてボクシングを始めたのか。どうして東京のジムを選んだのか。どうして沖縄のボクサーは勝てなくなったのか。どうして…。
聞いてみたいことは山ほどあった。
それ以降、名護明彦をはじめ、東京近郊のジムに所属する沖縄出身のボクサーたちを訪ねては話を聞いた。
試合があればできる限り会場に足をはこんだ。歓喜の雄叫びを聞いたし、悔し涙にくれる顔もあった。引退して次の夢を追いかける者もいれば、音信不通になってしまった者もいる。沖縄に帰った者もいれば、東京で就職した者もいる。
彼らを見ていて感じたのは、ボクシングに対するひたむきな思いとそしてもうひとつ、沖縄人ボクサーたちの内面の変化だった。
目次
彼らは何のために闘うのか
平敷勇二
本当は悔しいからそう言いたくないんですけど、 いっぱいいっぱい夢、見れましたね。
嘉陽宗嗣
勝った試合っていうのは後で思い出すことはあまりないですね。でも世界戦で負けたあれが悔しくて。 あとちょっとで夢に手が届くところまでいったのに掴めなかった。
翁長吾央
僕はボクシングに完璧を求めたいんです。強くなるためだったらどんなことでも求めたいんです。だから僕はこっちであんまり友達を作る気はないですね。
久手堅大悟
僕は3回負けたら辞めるって決めたんです。プロ選手としてひとつのけじめとして。東京に出てきて、ボクシングだけじゃなくやりたいこともみつけたんで。
池原繁尊
このボクシングが出来れば誰にも負けないっていう自信が戻ってきたんで、いますげー楽しいんですよ。
名護明彦
たぶん僕はこの先ピークを作って完全燃焼したいのかもしれないです。それはたとえばタイトルマッチじゃなくてもいいんです。自分の持っているものを全部を出し切れたと実感できれば。
具志堅」から遠く離れて
おわりに
新垣譲(あらかきゆずる)
1964年東京都板橋区に生まれる。
和光大学人文学部除籍後、週刊誌編集者を経てフリーのライター。
著書に「にっぽん自然派オヤジ列伝」(山海堂)、
「東京の沖縄人」(ボーダーインク)など。
千葉県銚子市在住。
2012年10月刊